旅館女将

25年続けた旅館を「もう、やりたくない」と思うまで

母の旅館と私の旅館

会社には2軒の旅館があり、古くからある母の旅館と、新しく建てた私の旅館を、それぞれで運営していました。
同じ会社のはずなのに、母からの電話はいつも
「あなたの旅館の社会保険料を早く払って」
「銀行の支払いを、そっちの旅館の口座から出して」
と、支払いの催促ばかりでした。

母の旅館は建って40年以上で、建設費の返済もとうに終わっています。
一方で、私の旅館は新規で建てたばかりなので、何億もの借金を抱えているのは当然です。
同じ会社なのだから、どちらの旅館のお金で払ってもいいはずだと、私は思っていました。

「お金はない!」の一言

それでも、私の旅館が月末に業者への支払いができず、そのことを母に電話しても、返ってくるのは「お金はない!」の一言だけ。
ただの一度も、快く「じゃあ今回はこっちから出しておこうか」と言ってくれたことはありません。
そのたびに、私は自分で業者に頭を下げて支払いを待ってもらったり、ときには知人にお金を借りて、なんとか支払いを済ませてきました。

10年日記に並ぶ同じ毎日

そんな日々の中で、アプリの「10年日記」を開くと、
(日付を開くと前年までの同じ日の日記が表示される)
去年もその前の年も、旅館の作業や支払いの悩み、母への愚痴ばかりが並んでいました。
「午後から休みだから○○さんと大浴場の掃除」
「今月も○○業者さんに10日まで待ってもらう」
といった、同じような言葉ばかり。
この先の将来を考えたとき、「きっと来年も同じことを書いているんだろうな」と思うと、同じ来年を迎えたくないという気持ちが、はっきり自分の中に芽生えました。

行動できない自分への情けなさ

頭の中では、旅館で新しいサービスを始めることも考えていました。
でも、実際には時間がなかったり、疲れて動けなかったりして、「今日は無理」「また今度」と、行動できない自分への言い訳ばかりが増えていきました。
「どうしてこんなふうになってしまったんだろう」と、情けない気持ちで自分を責めることも多くなっていきました。

体が教えてくれた限界

そんな中でも、私は毎朝、起きてすぐに数分だけ体操をすることを習慣にしていました。
年末年始や連休など、特に忙しい時期になると、左手のしびれを感じるようになることがありましたが、そのピークを過ぎて仕事が少し落ち着けば、体はいつも元に戻っていました。

ところが、ある年の年末年始の最中、いつものように体操をしているときに、足の指と手の指が、これまでにないくらいむくんでいることに気づきました。
「これはちょっとおかしいかもしれない」と思いながらも、その時期はとにかく休めず、気づけばしびれやむくみがとれるまで、今までよりずっと長い時間がかかるようになっていました。

このまま無理を続けたら、いつか本当に体が動かなくなるかもしれない。
症状が悪化して何もできなくなってしまう前に、ここから降りたい。
そんな気持ちが、体の不調と一緒に、はっきりと自分の中に居座るようになっていきました。

食生活を見直したことで、今では体調も落ち着き、検査ではγGTPの数値も改善しました。
それでも、このとき感じていた「この働き方を続けるのは危ないかもしれない」という感覚は、間違っていなかったと思います。

旅館は自分そのものだった

私は仕事が嫌いなわけではありません。
働くこと自体も苦ではなく、大きな家に住みたいとか、高級車に乗りたいといった望みもありませんでした。
父が残した旅館を続けたくて、会社員を辞めて旅館を継ぎ、自分の預貯金もつぎ込んできたことも、「自分の旅館だから当然」と思っていました。

旅館は、私そのものだと感じていました。
だから、旅館を辞めるという発想は、もともとどこにもありませんでした。
最後まで旅館の女将としてやり通すのだと信じていたのに、気がつけば「辞めたい」と思う自分がいました。
もう、やりたくない。

体調を崩して、何もできなくなってしまう前に、ここから降りたい。
そう感じることが増えていったとき、「旅館を手放す」という言葉が、少しずつ現実味を帯びて、頭の中に浮かぶようになっていきました。

-旅館女将